橋村物語③

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橋村物語③


橋村が大阪美術学校を創立した頃の大阪の時代背景を見てみましょう。1925年(大正14)に市域を拡張した大阪市は、人口200万人を超え、人口、面積とも東京を抜いて日本一となりました。世界的に見てもニュヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、シカゴに次いで世界第六位の大都市となりました。この時期から当時の人々は「大大阪」と呼ぶようになります。橋村が芸術家として名を成し、主潮社を結成し芸術振興を図るなど、創作にも対外的な活動にも精力的に活動していた時代は、大阪が大都市へと変貌していく時期と重なっています。

しかし、美術家育成という面では東京や京都に比べ立ち遅れていました。当時の橋村の心境が窺える次のような言葉が残されています。

「大阪と言ふ處は美術家を殺しこそすれ育てる處ではない、と言ふ言葉は誰言ふとなく心耳に刻まれて居るものがある、或いはそうかも知れぬと思ふ事は再三再四でなく感じさされて居る事ではあるが然らば何故それがと言ふ事は研究して見る程の人も無いらしい。只そう言ふ事を感じさされた人は次から次へと此大阪の土地から離れて行くのである。そうして此大阪の美術の畑は荒廃して行くのであろう。
されば此荒みきった大阪の土に孤々の聲を挙げた我大阪美術学校は如何なる要求に依り如何なる使命と目的とを持つものであるかわ我大阪美術学校の諸君と共に其一歩一歩は開展されて行く事と思ふ。そこに精進努力せねばならぬ即ち勉強そのものに萬事が含まれて居るものである。」

これは昭和2年5月1日発行の『大阪美術学校校友会月報』創刊号に掲載された橋村の「我等の使命」です。
この橋村の言葉から、大阪が商業都市として大きく発展するものの、「大阪の美術の畑は荒廃して行く」現状を打破しようとする橋村の美術教育家としての意気込みが伝わってきます。

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